元不登校、母になる。

学校へ行かなかったけれど、大人にはなれる。でも子育てって大変。頑張れ(不登校の)後輩たち!

月に一回くらい怒りをコントロールするのが難しい日がある。

昨日は色々なタイミングも合わず、子供達の失敗を叱り飛ばしてしまった。

 

大きな広い心でいるのは想像以上に難しい。

 反省して、今日も頑張ろう。

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不登校の私は小さい頃から、なんだがものすごく感受性が強い。

人に言わせれば、1くらいのことなのに10くらい感じていると言う。

子供のことも、子供がふと見せた一面で子供の考えてることを考察してしまう癖がある。それが良い時に使われる時はいいけれど、子供の失敗に重箱の隅を突くようになってしまう時もある。

そう言う自分が、ものすごくめんどくさい(笑)

  

感受性が強いかそうでないのは、おそらく生まれ持ったものだと思う。

(うちの子供達は私の子供の頃のようには感じてはいないようなので…笑)

 

感受性のもともと強い子供は、子供の頃は自由に生きている。

自分の世界で、自分の思うがままに。子供だから、きっとそれができる。

だけど、成長するに従って「そうはいかないんだ」と気がついてしまう時が来る。

 他人と違う自分に葛藤する日が来て、 協調性を求められた時に、そうなれない自分がいる。

そうなった時に思うのは、もうちょっとうまく感受性のフィルターを調整できないかなということ。

 

 他人はこれくらいに思ってるよ。

これはそんなに感じなくていいよ。これはこんなものかな。

感受性の強い子供にはそんな基準をちょっとだけ手助けしてあげるだけでも違うと思う。そういう経験を繰り返して、少しずつ自分の世界と外の世界を上手に生きていけるようにしてあげると、大人になってもうまく生きていけるはずです。(持論ですが。) 

違ったアプローチで。

英語の習得の仕方は人それぞれだ。私は留学を少しばかりしていたので、英語は子供達には早いうちから習得させたいと思っていた。

英語を習得する方法で確実なのは留学だ。

結局どんなアプローチで行こうと英語を使うしかない環境になれば最終的に話せるようにはなる。ただ留学前に苦労しないためには、「聞き取れる耳を育てることと文法・単語をできるだけ多く吸収しておくこと」だと思う。

 

上の子は、年中から週2で公文で英語を勉強している。

(今の所、小3で英検5級まで行ってるのでまずまずです。)

下の子は、園でネイティブの先生から毎日英語を習っている。

この二人の成果がどう出るか今の所見守っている。

 

上の子の場合は、ネイティブと直接話す機会はないが「単語を覚える→文法を覚える」は公文で確実に身についていると感じる。私がたまに簡単な英語で言った内容もしっかり理解できている。

下の子の場合は、耳で聞いてすっかり覚えていて上の子よりも発音はいいし、ネイティブに臆することなく会話する意欲がある。でも、文法は習っていないので、習ってないことを言われると「?」となる。単語もまだABC...程度。

上の子と下の子の同時期を比べてみると、年長時点で上の子は公文でいうD教材(小3〜小4相当)をしていたので、今の所違いは歴然…

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 下の子も公文に入会しようかと考えてはみたものの、ここは違ったアプローチをしてみようと思う。

A~B教材くらいは自宅と園で一通り学習できるはずなので、e-pencilを使いながら上の子の教材を毎日1ページ程度させてみて、その後公文ではなく英会話教室に入れる予定。(下の子の方が上の子よりもシャイなので、ネイティブに触れる機会を常に持っておいた方が英語を続けられると思う。)

一方はスタートからネイティブと自宅で公文の英語学習を並行。

一方は公文教室である程度習得してから、ネイティブと会話をする経験を作っていく。

 そうしてそれぞれ違った形で、留学してもすぐ簡単なコミュニケーションが取れるレベルまで日本で鍛えておきたいと思う。

外国の人とコミュニケーションを取れることは、自分の世界を広げる武器になる。

将来留学するかしないかは別として、英語がある程度使えるようにしておけば色々な視点から物事を見ることができるはずだ。

 

アプローチは違っても、最終目的地が一緒ならプロセスはあまり気にしない方がいい。

どの道を通っても結局たどり着けばいいのだから。

学習でもそうでは?

勉強方法なんて人それぞれ。

学校へ行かなくても、学校へ行ってもできる。

私は学校に行っていなかった間、学校の勉強をすることはなかった。(する気力もなかったのですが…笑)でも、もう一度あの時に戻れるなら諦めないで違ったアプローチで勉強してみてもよかったかなぁと思う。

何も学校で勉強を学ぶだけが全てじゃない。

家庭教師や塾や、インターネット先生がいる。

 

そう、違ったアプローチで。

スモールワールド。

ホーキング博士によると、

「人類はあと100年で終了」するらしい。

多分、あながち間違ってない。だって天才がいうことだから!(笑)

(※ホーキング博士は天才物理学者です。詳しいことは検索願います。) 

 

不登校の後輩さんたち、100年で終わるんなら今暗くなってる時間はないぞ〜!!

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 東南アジアに行った時のこと、ツアーで朝からバスに揺られていると住宅街を通った。

木で組んである小さな野外ステージのようなところに大人が何人も座っているのを見かけた。見ていると後から後から何人もやってきて、所狭しと座っている。

「はて?何をしてるんだろう。」と気になったが、バスは先を急いで終ぞはわからなかった。

夕方にまた同じところをバスで通った。同じところに同じ人たちが座っていた。何をするわけでもなく、ただただ座っていた。

・・・・・・・・・・・もしや、一日中そこにいたんだろうか?

 

また次の日もそこを通ると、同じように座っていた。 

やっぱり一日中そこにいるんだろうか!?そんな暮らしってありなの??

不登校になりたての私にとっては、驚き桃の木山椒の木。

世界には色々な人がいるんだな。こうやって暮らしてる人もいるんだな〜と考えさせられた。

せかせかと生きている国もあればそうじゃない国もある。

自分の固定概念なんて、世界の裏側に行ったらひっくり返る。 

 

学校に行かなかったことなんて意外と大したことないぞ。 

100年しかないならどう生きる?

不登校なんかで暗くなってる暇なんてないぞ!

 

世界は広いのに考えは狭いなんてもったいない。

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変な自信の付け方。

「自己肯定感のない母親は虐待しやすい。」らしい。

子供が自分の言うことを聞かない時、自分をバカにしていると感じてしまうらしい。

思い当たる節多々あり。

虐待はしたくないから、無理やり自己肯定感を持つことにする(笑)

私はどこまでも変な自信のつけ方をしている。

 

上の子が生まれたのは、20代前半の頃で育児を楽しむ余裕などなかった。

実家も義実家も近くになく、主人も毎日帰宅するのは夜中の12時。

誰も知り合いのいない場所で、朝から晩までワンオペ育児の攻防は続いていた。

子育ての仕方も何一つわからない中で、理想の母親像ばかり思い描いて、そうなれない自分を攻め続けていた。

 

周りから見て「こんなお母さんダメだ」と思われたくなかった。「子供が子供を産んだ」そう言われたくなかった。そのため、上の子は特に厳しく躾けてしまった。 過剰なくらい褒めるよりも叱ることの方が多かった。

 

私は幼い頃ほとんど褒められたことがない。

ものすご〜く褒めてもらいたかったが、ついには褒められポイントがなかったようだ(笑)

ついつい、子供を自身の幼少期と重ね合わせてしまい、こんなことで褒めれれはしない、こんなこと我慢して当然、こんなことできて当然、と思ってしまっていた。

褒められたことがないと我が子を褒めてあげることは非常に難しく感じた。

 

この子は私に潰されているのではないか?

実母に私の子育てを全批判され、動揺した。

信頼していた実母からの言葉に自信を無くした私は不安定になった。

「そんなことはない。母親としてよく頑張っている」主人だけは味方でいてくれた。

一番側で子供を見ている私が、なぜ我が子のことを見ていないと愛情を傾けていないと言われ、そうかもしれないと不安になるのだろう?自己肯定感のない母親である私は、そんなことで迷っていた。

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 厳しく躾けたせいか、今となっては一人で大概のことはできてしまう子ども。

(明日私が入院することになっても、上の子は何一つ困らないと断言できる。)

私が子供に厳しくしていたのは、私のようになって欲しくなかったのかもしれないし、褒められポイントのないような子供になって欲しくなかったのかもしれない。

だけど、「いつか親元を離れる子供に、できるだけ自分のことを自分でできる人間になってほしい、それがいつか自分自身を助けることになる」と自分の経験から思っていたのも確かだ。

 

そんな風に私が迷っている間に、子どもはいつの間にか他人に褒められる子どもになっていた。

周囲から褒められた子どもの自己肯定感は明らかに見てとれた。 

私の厳しさに耐え抜いた子供は、私より強い子供だった。私に潰されるどころか、突き破っていった。

 「この子は私とは違うのだな」と、当然のことながら気がついた時にようやく、過剰なほどの厳しい自分は消えて行った。 今じゃ、おだて上手になっている(笑) 

 

子供が褒められているのを見て、自分も褒めてもらえた気がしたのかもしれない。 

 私の成果ではもちろんないけれど、子供が私に自己肯定感をくれた。

「厳しかったけれど、それで良かった部分は確実にあったのだ」と思えることができるようになったから。

 

でもまだまだ素直に自己肯定感を持てない、だから上記のように変な自信を持つ。

「自己肯定感のない母親は虐待しやすいらしいから、自己肯定感を持つことにする!」と。 

 

褒めるだけでもダメ。叱るだけでもダメ。

両方をバランスよく頑張りたいと思う。それが結構難しいけど(笑)

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子供は親の思い通りにならない。

思い通りになったらいいのだけど、ならない。

 

私の母は、私が不登校でいる時一言も「学校に行きなさい」と言ったことがない。

私が気まぐれで「学校へ行ってみる」と行き、次の日に学校へ行かなかったとしても何も言われたことがない。

将来に対して悲観をされたことも一度もない。

逆にいろいろなことをいろいろな場所へ連れて行ってもらって教えてもらった。

その当時の母の話を聞くと、母が私のことを「この子は大丈夫だ」と思い始めてから、元気になってきたという。

確かに「大丈夫だ」と見守られていた感じはするし、「これをしてみたい」「ここに行ってみたい」という言葉を1つづ聞いてくれ、背中を押してくれた。

上から何かを言うのではなく、北風と太陽のように見守っていてくれた。 

 

母は、キャリアウーマンで仕事が忙しかったので、ほとんど放任主義で育った。

仕事、仕事、仕事の母にどうしても振り向いてもらいたかったが、母はずっと仕事に邁進し続けた。

きっと忙し過ぎたのもあって、私に対して何も構うこともできなかったのだろうと今は思っている。

母親というのは構いたがる生物だからだ(笑)

でも上から何か言われれば言われるほど、子供は嫌がる。 

 

私も子供が不登校になったら構いたがるだろう。

将来に対して不安を抱くかもしれない。

でもそんな時は、あえて忙しくして少し構うのをやめようと思う。

不安な気持ちを忙しさで打ち消したいと思う。

 「大丈夫だ」と子供を信じてあげないと、子供も自分を「大丈夫」と思えないと思うからだ。

 

子供は親の思い通りにはならない。

私が子供だった時も親の思い通りになってない。

だから私の子供も私の思い通りにはならないだろう。

親は見守るしかないんだなとつくづく思う。 

 

思い通りにはならないからこそ、 「大丈夫。」と自分と子供を信じよう。

いじめられたら逃げる?戦う?

いじめられたら、逃げないで戦える人と戦えない人がいると思う。

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かの有名なゆりやんレトリィバァは、いじめられていた時「絶対に学校に行ってやると思っていた」とテレビで言っていた。

芸人になるのが夢だったので「絶対に芸人になって『あの時、友達やったよな?』と近づいてきても無視してやろう」と思っていた。と言っていた。

 

 私の周りには何故かこういう意見の人が結構多い。

残念ながら私は、とてもじゃないけどそんな気持ちにはなれない(笑)

もし今学生でいじめられていたら、ジャストラナウェイしたい。

気が弱いと言われようと、逃げたら負けと言われようと、そんな考えに行き着くことは不可能だ。百歩譲って最初は思えたとしても、ポキっとすぐ折れそうだ(笑)

 

かくいう私もいじめられていた時、戦った覚えがある。

女子のあるある「無視いじめ」に負けじと学校に行った。

ずっと一人を耐え抜いた。「負けちゃいけない」と思ったから毎日学校へ行った。 

でもさ、今思うけど、耐える必要がどこにあったんだろう?

何に負けちゃいけなかったんだろう?

逃げずに学校に行き続けて何を得たのかが未だにさっぱりわからない。

 

結果的に私は、後々いじめが原因ではなく不登校になった。

いじめられていた時、そこで逃げていたとしても、結果はあんまり変わらなかったとは思うのは私だけか?笑

よく「逃げた結果、逃げ続ける人生になる」とかと言われたけれど、実のところそんなことはないぞ。 逃げらんない時は本当逃げられないもんだ。

 

名付けて「ゆりやんタイプ」は、それをバネに羽ばたいていける。

そういう人は本当に私みたいなタイプからしたら羨ましい。もちろんとてつもない戦いを心の中できっとしているんだというのもわかっている。その心の強さに感服する。できればそうなれたらいいのにと思う。ご尊敬申し上げたいと思っている。

だけど、どう足掻いたってそうなれなタイプの人もいる。

いじめをバネにできるのは、バネにできる素質を持っている人だけなんだと思う。

(その素質があろうがなかろうがいじめは嫌なものだから、ないことが一番だけど。)

 

いじめが辛いなら逃げるべし。

 

逃げるは恥だが役に立つ」 

多分この時にあるような言葉じゃないかなと思う。逃げた方がいい時もあるんだぜ。 

恋ダンス頭でかけながら、ジャストラナウェイしてもいいんだ。

違った意味でバネにして羽ばたこう。

元不登校なくせに教育ママ。

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「日本史楽しくなってきた〜!」などとほざいている私の子供。

本がとにかく好きで、与えるとすぐ読みきってしまう。のんびりしている子だが、平気で高学年の難しい問題を解く。(私の幼少期に比べたら羨ましい限りだ。)


私は元不登校の割に教育ママです。

勉強の習慣はなるべく小さいうちからつけることが本人のためと思ったので、小学校に入る前から「勉強すること」をスタンダートにした。 常に一学年以上先のカリキュラムをこなしている。

本人には自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、そのためにはどうするべきかを話し合うようにしている。

少し先のことをしていれば、学校の勉強にもついていけるし、不登校になってもそれくらいの余裕があれば、問題ない。

 

「勉強は理解できないと楽しくない」ので、理解できるように一応工夫はして教えてみてはいる。しかし私の心配はよそに本人は至って呑気に、嫌がるわけでもなく、学ぶことを楽しんでいる。

 

野原を駆け回って自然を知ることも大事だが、世の中それで食べていけるなら容易い。

現実的なことを言ってしまえば、勉強はできないよりもできたほうがはるかにいいのだ。

 

不登校だからこそ言えることは、

「学歴は糞食らえだが、結局学歴は大事なのだ。」

学歴がないと、余程の才能がない限り食べていくのに苦労する。

学歴がないとバカにされた気分になる。

学歴=信頼 と捉えられる。

正直、学歴があったほうが楽に人生が進むことに間違はない。 

自分が進みたい方向に舵を切るためには、それなりに勉強ができなければ進めないからだ。

ただただ、現実は厳しい。

不登校が雇ってもらえる場所は少ない。

 

 

と、ここまで言い切っておいたけれど…

教育=学歴 ではない。どちらかと言えば学歴よりも教養が大事だ。

野原を駆け回ることでしか得られない教養がある。

学歴を積まないで得た経験は私の中で生きている。

 

きっとこれからの世の中は変わる。少しずつ変わってきている。

不登校だった子どもも社会で活躍できるような時代に流れが変わっている。

おそらく学歴はオプションなのだと思う。

 多様性を受け入れてくれる世の中に変わる中で、自分のなりたい姿になる道は1つじゃない。どのオプションをゲットするかだ。