スモールワールド。
ホーキング博士によると、
「人類はあと100年で終了」するらしい。
多分、あながち間違ってない。だって天才がいうことだから!(笑)
(※ホーキング博士は天才物理学者です。詳しいことは検索願います。)
不登校の後輩さんたち、100年で終わるんなら今暗くなってる時間はないぞ〜!!
東南アジアに行った時のこと、ツアーで朝からバスに揺られていると住宅街を通った。
木で組んである小さな野外ステージのようなところに大人が何人も座っているのを見かけた。見ていると後から後から何人もやってきて、所狭しと座っている。
「はて?何をしてるんだろう。」と気になったが、バスは先を急いで終ぞはわからなかった。
夕方にまた同じところをバスで通った。同じところに同じ人たちが座っていた。何をするわけでもなく、ただただ座っていた。
・・・・・・・・・・・もしや、一日中そこにいたんだろうか?
また次の日もそこを通ると、同じように座っていた。
やっぱり一日中そこにいるんだろうか!?そんな暮らしってありなの??
不登校になりたての私にとっては、驚き桃の木山椒の木。
世界には色々な人がいるんだな。こうやって暮らしてる人もいるんだな〜と考えさせられた。
せかせかと生きている国もあればそうじゃない国もある。
自分の固定概念なんて、世界の裏側に行ったらひっくり返る。
学校に行かなかったことなんて意外と大したことないぞ。
100年しかないならどう生きる?
不登校なんかで暗くなってる暇なんてないぞ!
世界は広いのに考えは狭いなんてもったいない。
変な自信の付け方。
「自己肯定感のない母親は虐待しやすい。」らしい。
子供が自分の言うことを聞かない時、自分をバカにしていると感じてしまうらしい。
思い当たる節多々あり。
虐待はしたくないから、無理やり自己肯定感を持つことにする(笑)
私はどこまでも変な自信のつけ方をしている。
上の子が生まれたのは、20代前半の頃で育児を楽しむ余裕などなかった。
実家も義実家も近くになく、主人も毎日帰宅するのは夜中の12時。
誰も知り合いのいない場所で、朝から晩までワンオペ育児の攻防は続いていた。
子育ての仕方も何一つわからない中で、理想の母親像ばかり思い描いて、そうなれない自分を攻め続けていた。
周りから見て「こんなお母さんダメだ」と思われたくなかった。「子供が子供を産んだ」そう言われたくなかった。そのため、上の子は特に厳しく躾けてしまった。 過剰なくらい褒めるよりも叱ることの方が多かった。
私は幼い頃ほとんど褒められたことがない。
ものすご〜く褒めてもらいたかったが、ついには褒められポイントがなかったようだ(笑)
ついつい、子供を自身の幼少期と重ね合わせてしまい、こんなことで褒めれれはしない、こんなこと我慢して当然、こんなことできて当然、と思ってしまっていた。
褒められたことがないと我が子を褒めてあげることは非常に難しく感じた。
この子は私に潰されているのではないか?
実母に私の子育てを全批判され、動揺した。
信頼していた実母からの言葉に自信を無くした私は不安定になった。
「そんなことはない。母親としてよく頑張っている」主人だけは味方でいてくれた。
一番側で子供を見ている私が、なぜ我が子のことを見ていないと愛情を傾けていないと言われ、そうかもしれないと不安になるのだろう?自己肯定感のない母親である私は、そんなことで迷っていた。
厳しく躾けたせいか、今となっては一人で大概のことはできてしまう子ども。
(明日私が入院することになっても、上の子は何一つ困らないと断言できる。)
私が子供に厳しくしていたのは、私のようになって欲しくなかったのかもしれないし、褒められポイントのないような子供になって欲しくなかったのかもしれない。
だけど、「いつか親元を離れる子供に、できるだけ自分のことを自分でできる人間になってほしい、それがいつか自分自身を助けることになる」と自分の経験から思っていたのも確かだ。
そんな風に私が迷っている間に、子どもはいつの間にか他人に褒められる子どもになっていた。
周囲から褒められた子どもの自己肯定感は明らかに見てとれた。
私の厳しさに耐え抜いた子供は、私より強い子供だった。私に潰されるどころか、突き破っていった。
「この子は私とは違うのだな」と、当然のことながら気がついた時にようやく、過剰なほどの厳しい自分は消えて行った。 今じゃ、おだて上手になっている(笑)
子供が褒められているのを見て、自分も褒めてもらえた気がしたのかもしれない。
私の成果ではもちろんないけれど、子供が私に自己肯定感をくれた。
「厳しかったけれど、それで良かった部分は確実にあったのだ」と思えることができるようになったから。
でもまだまだ素直に自己肯定感を持てない、だから上記のように変な自信を持つ。
「自己肯定感のない母親は虐待しやすいらしいから、自己肯定感を持つことにする!」と。
褒めるだけでもダメ。叱るだけでもダメ。
両方をバランスよく頑張りたいと思う。それが結構難しいけど(笑)
子供は親の思い通りにならない。
思い通りになったらいいのだけど、ならない。
私の母は、私が不登校でいる時一言も「学校に行きなさい」と言ったことがない。
私が気まぐれで「学校へ行ってみる」と行き、次の日に学校へ行かなかったとしても何も言われたことがない。
将来に対して悲観をされたことも一度もない。
逆にいろいろなことをいろいろな場所へ連れて行ってもらって教えてもらった。
その当時の母の話を聞くと、母が私のことを「この子は大丈夫だ」と思い始めてから、元気になってきたという。
確かに「大丈夫だ」と見守られていた感じはするし、「これをしてみたい」「ここに行ってみたい」という言葉を1つづ聞いてくれ、背中を押してくれた。
上から何かを言うのではなく、北風と太陽のように見守っていてくれた。
母は、キャリアウーマンで仕事が忙しかったので、ほとんど放任主義で育った。
仕事、仕事、仕事の母にどうしても振り向いてもらいたかったが、母はずっと仕事に邁進し続けた。
きっと忙し過ぎたのもあって、私に対して何も構うこともできなかったのだろうと今は思っている。
母親というのは構いたがる生物だからだ(笑)
でも上から何か言われれば言われるほど、子供は嫌がる。
私も子供が不登校になったら構いたがるだろう。
将来に対して不安を抱くかもしれない。
でもそんな時は、あえて忙しくして少し構うのをやめようと思う。
不安な気持ちを忙しさで打ち消したいと思う。
「大丈夫だ」と子供を信じてあげないと、子供も自分を「大丈夫」と思えないと思うからだ。
子供は親の思い通りにはならない。
私が子供だった時も親の思い通りになってない。
だから私の子供も私の思い通りにはならないだろう。
親は見守るしかないんだなとつくづく思う。
思い通りにはならないからこそ、 「大丈夫。」と自分と子供を信じよう。
いじめられたら逃げる?戦う?
いじめられたら、逃げないで戦える人と戦えない人がいると思う。
かの有名なゆりやんレトリィバァは、いじめられていた時「絶対に学校に行ってやると思っていた」とテレビで言っていた。
芸人になるのが夢だったので「絶対に芸人になって『あの時、友達やったよな?』と近づいてきても無視してやろう」と思っていた。と言っていた。
私の周りには何故かこういう意見の人が結構多い。
残念ながら私は、とてもじゃないけどそんな気持ちにはなれない(笑)
もし今学生でいじめられていたら、ジャストラナウェイしたい。
気が弱いと言われようと、逃げたら負けと言われようと、そんな考えに行き着くことは不可能だ。百歩譲って最初は思えたとしても、ポキっとすぐ折れそうだ(笑)
かくいう私もいじめられていた時、戦った覚えがある。
女子のあるある「無視いじめ」に負けじと学校に行った。
ずっと一人を耐え抜いた。「負けちゃいけない」と思ったから毎日学校へ行った。
でもさ、今思うけど、耐える必要がどこにあったんだろう?
何に負けちゃいけなかったんだろう?
逃げずに学校に行き続けて何を得たのかが未だにさっぱりわからない。
結果的に私は、後々いじめが原因ではなく不登校になった。
いじめられていた時、そこで逃げていたとしても、結果はあんまり変わらなかったとは思うのは私だけか?笑
よく「逃げた結果、逃げ続ける人生になる」とかと言われたけれど、実のところそんなことはないぞ。 逃げらんない時は本当逃げられないもんだ。
名付けて「ゆりやんタイプ」は、それをバネに羽ばたいていける。
そういう人は本当に私みたいなタイプからしたら羨ましい。もちろんとてつもない戦いを心の中できっとしているんだというのもわかっている。その心の強さに感服する。できればそうなれたらいいのにと思う。ご尊敬申し上げたいと思っている。
だけど、どう足掻いたってそうなれなタイプの人もいる。
いじめをバネにできるのは、バネにできる素質を持っている人だけなんだと思う。
(その素質があろうがなかろうがいじめは嫌なものだから、ないことが一番だけど。)
いじめが辛いなら逃げるべし。
多分この時にあるような言葉じゃないかなと思う。逃げた方がいい時もあるんだぜ。
恋ダンス頭でかけながら、ジャストラナウェイしてもいいんだ。
違った意味でバネにして羽ばたこう。
元不登校なくせに教育ママ。
「日本史楽しくなってきた〜!」などとほざいている私の子供。
本がとにかく好きで、与えるとすぐ読みきってしまう。のんびりしている子だが、平気で高学年の難しい問題を解く。(私の幼少期に比べたら羨ましい限りだ。)
私は元不登校の割に教育ママです。
勉強の習慣はなるべく小さいうちからつけることが本人のためと思ったので、小学校に入る前から「勉強すること」をスタンダートにした。 常に一学年以上先のカリキュラムをこなしている。
本人には自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、そのためにはどうするべきかを話し合うようにしている。
少し先のことをしていれば、学校の勉強にもついていけるし、不登校になってもそれくらいの余裕があれば、問題ない。
「勉強は理解できないと楽しくない」ので、理解できるように一応工夫はして教えてみてはいる。しかし私の心配はよそに本人は至って呑気に、嫌がるわけでもなく、学ぶことを楽しんでいる。
野原を駆け回って自然を知ることも大事だが、世の中それで食べていけるなら容易い。
現実的なことを言ってしまえば、勉強はできないよりもできたほうがはるかにいいのだ。
元不登校だからこそ言えることは、
「学歴は糞食らえだが、結局学歴は大事なのだ。」
学歴がないと、余程の才能がない限り食べていくのに苦労する。
学歴がないとバカにされた気分になる。
学歴=信頼 と捉えられる。
正直、学歴があったほうが楽に人生が進むことに間違はない。
自分が進みたい方向に舵を切るためには、それなりに勉強ができなければ進めないからだ。
ただただ、現実は厳しい。
不登校が雇ってもらえる場所は少ない。
と、ここまで言い切っておいたけれど…
教育=学歴 ではない。どちらかと言えば学歴よりも教養が大事だ。
野原を駆け回ることでしか得られない教養がある。
学歴を積まないで得た経験は私の中で生きている。
きっとこれからの世の中は変わる。少しずつ変わってきている。
不登校だった子どもも社会で活躍できるような時代に流れが変わっている。
おそらく学歴はオプションなのだと思う。
多様性を受け入れてくれる世の中に変わる中で、自分のなりたい姿になる道は1つじゃない。どのオプションをゲットするかだ。
死にたい子を止められるのか。
「子供はたくさん失敗するけど、子供の傷はすぐ治る。」
先日のコードブルーを観ていた時、いい言葉だなぁと思った。(うろ覚えですが)
「生きているのが辛くなった。」
そこまで思い詰めると、多分死ぬか生きるかは振り子のように揺れてる状態だ。
振り子が「死ぬ」に傾いたら死を選んでしまうんだろう。
私は大人になってからも、みんな今まで一回くらい本気で「死にたい」と思ったことがあるんだろうなと思っていた。実は、そうでもないらしいということを最近知った。
それを知ったら、「なんだ自分は随分思い詰めた10代を歩んできてしまったんだな。」とヒザカックンを食らって拍子抜けした。そんな「死ぬ」までの考えまで、思い詰めて行き着かなくてもいいらしいぞ!と触れ回りたいくらいだ。
私の10代はどちらかといえば、絶対失敗をしたくないタイプで。
心がやけに繊細で。人の心の変化を敏感に感じ取るのが癖で。
自分を信じられない、他人も信じられないタイプの子供だった。
他人を信じられないのは、裏切られるのが怖いから。
自分を信じられないのは、自分が失敗ばかりするから。
失敗が嫌いな私は失敗する自分が嫌いになる。
今考えるとかなりの偏屈です。
死にたいと思っている子を止められるのか。
自分の過去の心境からいうと、正直止められるかは疑問だ。
かつての私のような心理用語でいう「I'm not OK. You're not OK.」タイプはおそらく自殺に至る考えに陥りやすい。(そりゃそうだ。自分も他者も信じられないのだから。)
未来に希望も持てない。苦しみも悲しみもずっと続いていくもんだと思っていたし、死ねば楽になると思っていた。
私自身の振り子が「死ぬ」に傾かなかったのは、1日1日を永らえて来て得た経験の中で「そうではないかもしれない。」と思えたからだろう。
じゃあ、子供がそのような考えに至らないようにどう子育てをしたらいいのだろう。
まずは「自分を信じること」をどう伝えて行けばいいのか。
「自己肯定感」はどこから生まれるのか。
たくさん褒める? 「失敗しても大丈夫だよ」とフォローをする?
話をたくさん聞いてあげる?絵本を読んであげる?経験をたくさんさせる?
子育て本に書いてあることを一通りすることで得られる効果もあるだろうからやってみようと思うけれど、そんな全てを解決できる正攻法はないと思う。
(上記全てできてるとは言えないので定かじゃありませんが。)
振り子がどちらかに傾くかは、結局その子次第だ。
だけど引力はきっとある。親が子供を信じる心は引力になりえると信じたいと思う。
「あなたは私の宝物だ」「私はあなたを愛している」
そんな臭いセリフは、少し照れくさいけれど伝えるようにしている。
私があの頃そう言ってもらえたら少し違かった気がするから。
誰かに大事にされた経験がなければ、自分を大切にする方法はわからない。
自分は大事にされる価値のある人間だと思わなければ、自分の命を大事にしない。
子供が負った傷は治りやすい。
「I'm OK. You're OK」 と今思えてるから私の傷は治ってる。
シェイクスピアの言葉にもある。
「どんな傷でも、治る時は徐々に治ったのではありませんか」
そう徐々に傷って治るんだ。心の傷は治る。
先生ってそんなに素晴らしいのか。
先生の中には素晴らしい先生もいるし、その逆もいる。
基本、先生のことは尊敬するべきだ。
私もそう思っている。
実際に尊敬に値する先生は沢山いる。
しかし、母親が最初から完璧な母親ではないように、
先生も最初から完璧ではない。
学校の先生のお仕事は、大変だと思う。
朝早くから夜遅くまで、たくさんの業務がある。
一人の子供に構ってあげられる時間は限られているだろう。
だからこそ、一瞬一瞬の判断は人より研ぎ澄まされていなければ務まらないと思う。
教室に入れなくなった子供が行くのは、だいたいが保健室ではないだろうか。
保健室登校や別室登校をしている子も含めると不登校の潜在的な人数はもっといると言われている。
私が最初に教室にいけなくなった時に向かったのも保健室だ。
学校に行かないという選択がなかった頃、保健室は避難場所だった。
でも保健の先生が私にかけた言葉にはショックだった。
「ここに毎日いられては迷惑だ。」
強制的な言葉で教室に戻ることを促したのかもしれないが・・・とにかく逆効果だったと思う。
保健室にいられなくなったら、今度は別室登校になる。
どうしても教室には戻れないのだ。
別室登校では、一日中自習という名の放置だった。
先生たちには、とにかく煙たがられていることを感じた。
嫌味な目で見てくる先生ばかりだった。
実際心ないことをたくさん言われた。
問題児は学校に来るな。と言われている感じがした。
先生からしたらサボってる子としか思えなかったんだろう。
今だったら、
「先生、煙たがらないでくださいよ。
私だって必死に学校にしがみついてるんですよ〜。」と言ってやれるけども、
当時の私が言えるわけもない。
家庭に居場所がない子は学校に居場所を求める。
学校に居場所がない子は家に居場所を求める。
どちらにも居場所がない子はどこに行けばいいのだろう。
今ではきちんと支援があると思うけれど、この段階で少しでも踏みとどまることができれば、子供の心の負担はもう少し少なくて済むのではないかな。
先生のかける一言が、本当は子供を救うのにも関わらず、
その一言が子供を傷つけていることがある。
明らかなえこひいき、教室を乱す者を排除しようとする行為。
案外子供はよく見ていますよ。
学校の先生に言われた言葉は、他の大人に言われた言葉よりも心に残ります。
これからも先生に言われたこと、されたことを私は忘れることはないだろう。
かと言って恨むわけでも、忘れられないと怒りに震えるわけではない。
人は完璧じゃないから、そうならざるを得ないんだろうと理解してみたいと思うし、
「ひどい大人もいたもんだ、こんな人間になってはならない」と反面教師にしたいと思う。
先生に不信感を抱いた君にもどうか届いて欲しい。
「先生も完璧じゃない。
無理に尊敬しなくてもいい。
そして君にはそういう大人にならないという選択肢があるんだよ。
子供のうちにそれに気づいちゃったね。
それって最高じゃない?」
そう思って強くなろう(笑)