元不登校なくせに教育ママ。
「日本史楽しくなってきた〜!」などとほざいている私の子供。
本がとにかく好きで、与えるとすぐ読みきってしまう。のんびりしている子だが、平気で高学年の難しい問題を解く。(私の幼少期に比べたら羨ましい限りだ。)
私は元不登校の割に教育ママです。
勉強の習慣はなるべく小さいうちからつけることが本人のためと思ったので、小学校に入る前から「勉強すること」をスタンダートにした。 常に一学年以上先のカリキュラムをこなしている。
本人には自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、そのためにはどうするべきかを話し合うようにしている。
少し先のことをしていれば、学校の勉強にもついていけるし、不登校になってもそれくらいの余裕があれば、問題ない。
「勉強は理解できないと楽しくない」ので、理解できるように一応工夫はして教えてみてはいる。しかし私の心配はよそに本人は至って呑気に、嫌がるわけでもなく、学ぶことを楽しんでいる。
野原を駆け回って自然を知ることも大事だが、世の中それで食べていけるなら容易い。
現実的なことを言ってしまえば、勉強はできないよりもできたほうがはるかにいいのだ。
元不登校だからこそ言えることは、
「学歴は糞食らえだが、結局学歴は大事なのだ。」
学歴がないと、余程の才能がない限り食べていくのに苦労する。
学歴がないとバカにされた気分になる。
学歴=信頼 と捉えられる。
正直、学歴があったほうが楽に人生が進むことに間違はない。
自分が進みたい方向に舵を切るためには、それなりに勉強ができなければ進めないからだ。
ただただ、現実は厳しい。
不登校が雇ってもらえる場所は少ない。
と、ここまで言い切っておいたけれど…
教育=学歴 ではない。どちらかと言えば学歴よりも教養が大事だ。
野原を駆け回ることでしか得られない教養がある。
学歴を積まないで得た経験は私の中で生きている。
きっとこれからの世の中は変わる。少しずつ変わってきている。
不登校だった子どもも社会で活躍できるような時代に流れが変わっている。
おそらく学歴はオプションなのだと思う。
多様性を受け入れてくれる世の中に変わる中で、自分のなりたい姿になる道は1つじゃない。どのオプションをゲットするかだ。