元不登校、母になる。

学校へ行かなかったけれど、大人にはなれる。でも子育てって大変。頑張れ(不登校の)後輩たち!

変な自信の付け方。

「自己肯定感のない母親は虐待しやすい。」らしい。

子供が自分の言うことを聞かない時、自分をバカにしていると感じてしまうらしい。

思い当たる節多々あり。

虐待はしたくないから、無理やり自己肯定感を持つことにする(笑)

私はどこまでも変な自信のつけ方をしている。

 

上の子が生まれたのは、20代前半の頃で育児を楽しむ余裕などなかった。

実家も義実家も近くになく、主人も毎日帰宅するのは夜中の12時。

誰も知り合いのいない場所で、朝から晩までワンオペ育児の攻防は続いていた。

子育ての仕方も何一つわからない中で、理想の母親像ばかり思い描いて、そうなれない自分を攻め続けていた。

 

周りから見て「こんなお母さんダメだ」と思われたくなかった。「子供が子供を産んだ」そう言われたくなかった。そのため、上の子は特に厳しく躾けてしまった。 過剰なくらい褒めるよりも叱ることの方が多かった。

 

私は幼い頃ほとんど褒められたことがない。

ものすご〜く褒めてもらいたかったが、ついには褒められポイントがなかったようだ(笑)

ついつい、子供を自身の幼少期と重ね合わせてしまい、こんなことで褒めれれはしない、こんなこと我慢して当然、こんなことできて当然、と思ってしまっていた。

褒められたことがないと我が子を褒めてあげることは非常に難しく感じた。

 

この子は私に潰されているのではないか?

実母に私の子育てを全批判され、動揺した。

信頼していた実母からの言葉に自信を無くした私は不安定になった。

「そんなことはない。母親としてよく頑張っている」主人だけは味方でいてくれた。

一番側で子供を見ている私が、なぜ我が子のことを見ていないと愛情を傾けていないと言われ、そうかもしれないと不安になるのだろう?自己肯定感のない母親である私は、そんなことで迷っていた。

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 厳しく躾けたせいか、今となっては一人で大概のことはできてしまう子ども。

(明日私が入院することになっても、上の子は何一つ困らないと断言できる。)

私が子供に厳しくしていたのは、私のようになって欲しくなかったのかもしれないし、褒められポイントのないような子供になって欲しくなかったのかもしれない。

だけど、「いつか親元を離れる子供に、できるだけ自分のことを自分でできる人間になってほしい、それがいつか自分自身を助けることになる」と自分の経験から思っていたのも確かだ。

 

そんな風に私が迷っている間に、子どもはいつの間にか他人に褒められる子どもになっていた。

周囲から褒められた子どもの自己肯定感は明らかに見てとれた。 

私の厳しさに耐え抜いた子供は、私より強い子供だった。私に潰されるどころか、突き破っていった。

 「この子は私とは違うのだな」と、当然のことながら気がついた時にようやく、過剰なほどの厳しい自分は消えて行った。 今じゃ、おだて上手になっている(笑) 

 

子供が褒められているのを見て、自分も褒めてもらえた気がしたのかもしれない。 

 私の成果ではもちろんないけれど、子供が私に自己肯定感をくれた。

「厳しかったけれど、それで良かった部分は確実にあったのだ」と思えることができるようになったから。

 

でもまだまだ素直に自己肯定感を持てない、だから上記のように変な自信を持つ。

「自己肯定感のない母親は虐待しやすいらしいから、自己肯定感を持つことにする!」と。 

 

褒めるだけでもダメ。叱るだけでもダメ。

両方をバランスよく頑張りたいと思う。それが結構難しいけど(笑)