元不登校、母になる。

学校へ行かなかったけれど、大人にはなれる。でも子育てって大変。頑張れ(不登校の)後輩たち!

やり抜く力は必要なのか?

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おっとっと。気がつけば全くブログを書いてないという(笑)

続けなきゃ続けなきゃと思うと逆に嫌になってしまう性格なので、こんなもんです。

「継続は力なり」はわかってはいるけれど…実は嫌いな言葉です。

不登校だからか(?)何かに縛られるのが大の苦手なのです。

 

「やり抜く力を小さな頃から身につけなさい。」と昔から言うけれど、

やり抜けなかったらダメですか? 

 

私は子供の頃、何一つやり抜いた記憶がないです。

逆上がりも結局はできるようにはならなかったし、プールもバタフライができなくてやめた。正直、続けることの意味がわからなかった。できても将来なんの役に立つのかわかりませんでした。

言い訳ですが、私がやり抜きたかったことと、やり抜けば世間一般から評価されることが一致しなかっただけです(笑)

私は幼い頃から好きなことにはとことん熱中するのが癖だったので、動物の種類を猛打したり、お菓子作りにはまってみたり、ガーデニングにはまってみたり。(もし私が得意とする分野が教科にあったならば、私は好成績を納められたことでしょう!)

とにかく、やり抜きたいと思えることがあればやり抜いてましたというのが私の持論です。(笑)

 

そんな私が我が子に「やり抜く力」を説いてるのがおかしな話ですが、子供がやりたいと言ったことはやり抜けるように応援・叱咤激励のサポートは惜しみなくしているつもりです。私にはそのサポートがなかったから続かなかったんだぁ〜!と(また言い訳ですが笑)ライザップのように応援してくれたらこんな私でも頑張れるかもと思うのです(笑)

やり抜く力とはおそらく「達成感」のことで、その達成感を得るために「やり抜く力を身につける」のだと思います。その力さえあればどんなことでも諦めずに頑張れるから、ということでしょうかね。

 

ただ、どんなことでも諦めずに頑張れる子になれば良いのかと言われると、懐疑的に思わざるを得ません。諦めなければならないことができた時、すんなり受け入れて前へ進む力も同じくらい必要なのではないかと思うからです。

 

不登校になるということは、「諦める」こととの戦いでもあります。

まず自分が「学校へ行く」ということを諦めなければならないし、みんなと同じ道を一つ一つ諦めて行くことの連続です。他の子と違う道を歩もうとすることは、子供ながらにとてつもなく勇気のいることです。

不登校になると自分が「やり抜く力」とは程遠い世界に行ったような気がしてしまいますが、本来ならやり抜く力は何もかもに持たなくてもいいはず。学校に行かないことだって「やり抜く力」かもしれません(笑)

そんな中でも自分を見失わずに、自分にとって何が大切でどの道を選ぶべきなのか、取捨選択できるように一生懸命生きて行くことは、やり抜く力にも劣らないのではないでしょうか。そんな大きな選択の連続をして生きた子供は大人になってもきっと自分で未来を切り開けるはずです。

 

大切なことは「諦めてから前へ進む力」を持つこと。

諦めてから前へ進んだ経験は、普通にやり抜くよりもはるかに自分を成長させてくれるはずです。