街の中でときどき見かける。
学校のある時間に歩いている子供を街で見かけるときがあります。
「もしや不登校の後輩では?」と不謹慎かもしれないけれど、なんか嬉しいような…(嬉しいとか本当は言っちゃダメですけど。)懐かしいような…。
好奇な目で見ている人だけじゃないよ。
暖かい目でエールを送っている人もいることを知っていてほしいです。
「なにも学校で学ぶことが全てじゃない。」
不登校でいるとあまり家から出なくなるので、外に出ていろんなものに触れることってとってもいい経験だと思う。
みんなが学校へ行っている時間に社会はどう動いてるのか見るってなかなかできないこと。
空が綺麗だった、鳥が飛んでた、飛行機雲を見つけた。
なーんにも見つからなくても、外に出ただけ偉いと思う。
いや、外に出てなくても今日1日生きただけでも偉いさ。
(ハードル低すぎですか?低すぎて何が悪い〜。ハードルなんて人それぞれだろ〜。)
あの頃は「このままじゃいけない、このままじゃいけない」ってずっと焦っていました。
そんな風に思い続けてどれだけの時間が経ったかわからないし、
実のところ未だに思っていたりして、あまりあの頃と進歩がない(笑)
いつか大物になってなんちゃらかんたら…と思ってるうちに今日も日が暮れている(笑)
焦っていようと、もがいていようと、明日は来る。
それなら今を生きるしかないじゃないか。
どうせ今を生きるなら楽しく生きたいと思う。
街で見かけた君は、
今辛いかもしれないし、誰にもわかってもらえないと孤独かもしれない。
でもその黒い気持ちとうまく付き合いながらもめげずに生き抜いて欲しい。
焦ってもがいた時間も大切な時間だったと思える日が必ず来るよ。
負けるな。不登校。
15年近く前、その当時中学生だった私は学校へ行くことをやめた。
「行かない」と言う選択を安易にしたわけじゃないし、今となってはどうしようもなくそうなったとしか言いようがない。
きっと不登校になった人はみんなそうじゃないかと思う。
行けるもんなら行きたかったし。みんなと同じ道に進んで行きたかった。
病気でもない、怪我をしたわけでもない。
単なるわがままと決めつけられて、先生には厄介者扱いされていた気がする。
もちろんワガママかもしれない。ある視点から見れば。
でもそれを通したおかげで私は死ななかったと思う。
大袈裟じゃなくて本当に死にたくなるくらい学校に行くのが辛かった。
だから私は学校を失くして、自分を生かすことに決めた。
私が不登校になった当初は、「不登校」と言う言葉が世間で叫ばれだした頃。
駆け出しの不登校児の私は、もがいていた。
一通りもがき苦しんでのたうち廻った後、どうせなら明るく生きようと思った。
「明るい不登校児」がいてもいいじゃない?って思って(笑)
明るい不登校を卒業した今でも、不登校の子どもがたくさんいると聞くと、胸が痛む。
あの頃私が抱えていた思いをたくさんの子どもがしていると思うと、どうか明るく生きていて欲しいと願う。
負けないで、不登校さんたち。
そんな気持ちでブログを始めてみたいと思います。