元不登校、母になる。

学校へ行かなかったけれど、大人にはなれる。でも子育てって大変。頑張れ(不登校の)後輩たち!

無理しなくていい。

無理しなくていい、頑張る時はまた別の時に。

本当に頑張らないといけない時は、来る。

だから今は、無理しなくていい。

 

あの当時の私に声をかけてあげられるならば、そう言いたい。

 

母になって思うことは、子供にはまっすぐ真っ当な道を選んで歩いて行ってほしい。

そんな願いにも似た気持ちだ。

それは母にならなかったらわからなかった。

 

私には小学生になる子供がいるのだが、子供が学校へ行きたくないという日が来たら

こんな私でも「どうしよう」と思うと思うので、不登校の経験のないお母さんからしたら、きっと戸惑いの連続であることだろうと思う。

 

心理学の先生が言っていた言葉を思い出す。

不登校に陥ってしまった子供の精神状態は、地球の裏側に落ちたくらいの衝撃を受けている」

 

「ああ、なるほどな。」と腑に落ちた。

確かに裏側に落ちたようだった、自分の立っている真下に急に黒い影ができて、そのまま引きずり落ちて行くような心境だったから。

 

もし、不登校になったお子さんの気持ちがわからなかったら、想像してほしい。

そんな衝撃を受けているのだから、滅多滅多だと。

さすがに立ち上がれないと。

どこでどう受けた傷か、本人もわからないまま深い底にいると。

 

今、夏休みが終わって、きっと「学校へ戻らないと」ともがいている子もいると思う。

それを望むお母さんの気持ちもよくわかる。

「このチャンスを逃したら、また通えなくなるかもしれない。」

そう感じているかもしれない。

 

私も何度もトライした。

でも私の場合やっぱりダメだった。

きっと衝撃を受けた傷も治ってないのにトライしたからかもしれない。

 

時が経てば心に受けた傷も少しずつよくなっていく。

その時が来たら立ち上がれるから、今は無理しなくてもいいよ。

 

無理をすればするほど傷は深くなっていって、戻ることが難しくなるから。

お母さんはどうか見守ってほしい。

トライしてみてダメでもどうか自分を責めないで。

お母さんも自分を責めないで。

 

私の不登校の友達の中には、ちゃんと戻れた子もいる。

決して戻れないわけじゃない。

 

立ち上がれない時は無理しなくていい。

不登校から卒業したあと。

中学時代を不登校のまま卒業し、晴れて不登校を卒業した私の進路はとても限られていた。

学校に行っていなかったので勉強にも全然ついていけず、高校受験の「こ」の字も出てこなかった。

 

でも通信制の高校の扉だけは開いていた。迷わずそこへ飛び込んだ。

 

しかし、そこはやはり孤独な世界。

自分で勉強し、自分でレポートをまとめなければ単位は取れない。

苦手なスクーリングも行かないといけなかった。

 

新しい出会いや新しい環境に胸を躍らせたのもつかの間。

急に動くと反動もその分大きい。

 

今度は頑張ろうって思ってたことができなくて自己嫌悪に陥る。

最低限は頑張っていたつもりだったけれど…最低限さえキツいと感じてしまう。

 

よく、「不登校の子=学校に毎日通うことができない子」のように言われることがありますが、当時の私は「中学にいけなかっただけで、『学校自体』に通えないわけじゃないんだ」と思っていたので、新しい学校にうまく通えていない自分を受け入れることができなかった。

 

どうしたらいいんだろう。

あの忌々しい暗黒時代(笑)を卒業したはずなのに!

今考えればかなりの荒療治ですが、

私は昔から英語が好きで、英語を学んで見たい気持ちが強かった。

留学すれば何か変わるかもしれないと動き出した。

自分で行く学校を調べて、費用を計算して、それを表にして親にプレゼンをし、散々お願いして晴れて留学できることとなった。

 

中学を卒業してから6ヶ月。

15歳だった私は、一人飛行機の中期待に胸を膨らませて飛び立った。

 

「私は中学にいけなかっただけで、『学校』に行けないわけじゃない!」

この言葉は自分で証明できたと今でも思っている。

 

今の学校に行けないだけで、他の学校なら行けることもある。

 

自分で踏み出す気持ちがあれば、チャレンジ。

街の中でときどき見かける。

学校のある時間に歩いている子供を街で見かけるときがあります。

「もしや不登校の後輩では?」と不謹慎かもしれないけれど、なんか嬉しいような…(嬉しいとか本当は言っちゃダメですけど。)懐かしいような…。

 

好奇な目で見ている人だけじゃないよ。

暖かい目でエールを送っている人もいることを知っていてほしいです。

 

「なにも学校で学ぶことが全てじゃない。」

不登校でいるとあまり家から出なくなるので、外に出ていろんなものに触れることってとってもいい経験だと思う。

みんなが学校へ行っている時間に社会はどう動いてるのか見るってなかなかできないこと。

空が綺麗だった、鳥が飛んでた、飛行機雲を見つけた。

なーんにも見つからなくても、外に出ただけ偉いと思う。

いや、外に出てなくても今日1日生きただけでも偉いさ。

(ハードル低すぎですか?低すぎて何が悪い〜。ハードルなんて人それぞれだろ〜。)

 

あの頃は「このままじゃいけない、このままじゃいけない」ってずっと焦っていました。

そんな風に思い続けてどれだけの時間が経ったかわからないし、

実のところ未だに思っていたりして、あまりあの頃と進歩がない(笑)

いつか大物になってなんちゃらかんたら…と思ってるうちに今日も日が暮れている(笑)

 

焦っていようと、もがいていようと、明日は来る。

それなら今を生きるしかないじゃないか。

どうせ今を生きるなら楽しく生きたいと思う。

 

街で見かけた君は、

今辛いかもしれないし、誰にもわかってもらえないと孤独かもしれない。

でもその黒い気持ちとうまく付き合いながらもめげずに生き抜いて欲しい。

焦ってもがいた時間も大切な時間だったと思える日が必ず来るよ。

負けるな。不登校。

15年近く前、その当時中学生だった私は学校へ行くことをやめた。

「行かない」と言う選択を安易にしたわけじゃないし、今となってはどうしようもなくそうなったとしか言いようがない。

 

きっと不登校になった人はみんなそうじゃないかと思う。

 

行けるもんなら行きたかったし。みんなと同じ道に進んで行きたかった。

病気でもない、怪我をしたわけでもない。

単なるわがままと決めつけられて、先生には厄介者扱いされていた気がする。

 

もちろんワガママかもしれない。ある視点から見れば。

でもそれを通したおかげで私は死ななかったと思う。

大袈裟じゃなくて本当に死にたくなるくらい学校に行くのが辛かった。

 

だから私は学校を失くして、自分を生かすことに決めた。

 

私が不登校になった当初は、「不登校」と言う言葉が世間で叫ばれだした頃。

駆け出しの不登校児の私は、もがいていた。

一通りもがき苦しんでのたうち廻った後、どうせなら明るく生きようと思った。

「明るい不登校児」がいてもいいじゃない?って思って(笑)

 

明るい不登校を卒業した今でも、不登校の子どもがたくさんいると聞くと、胸が痛む。

あの頃私が抱えていた思いをたくさんの子どもがしていると思うと、どうか明るく生きていて欲しいと願う。

 

負けないで、不登校さんたち。

 

そんな気持ちでブログを始めてみたいと思います。