明るい不登校の過ごし方。
不登校になったことを負い目に感じてないと言ったら、そりゃ嘘になる。
人生には数々な選択肢が出題されるわけで、私はこちらを選んだけれども、
あちらを選んでいたならば…どうなっていたのだろうと思う気持ちはもちろんある。
だけど後悔はしない。
「学校に行けない」と悟った時、「学校に行かない」と決意した時、
私は自分に誓いを立てた。
「この先どんなことがあろうと自己責任。誰のせいにもしない。
学校に行かなかったことを後悔しない。」と。
誰かのせいにすることは楽だけども、
誰かや何かによって学校に行かないんじゃなくて、
自分で決めたんだと、ちょっと誇らしげに思いたかったんだと思う。
逃げたんじゃない。自分で選んだんだと。
そう思うことにしたからこそ、明るい不登校になろうと思えたのかもしれない。
みんなが学校へ行ってる間、私がしていたことは、朝から夜までテレビざんまい。
テレビというツールを使って、ありとあらゆる情報を身につけたと言っても過言ではない。
(いたって真面目に言っていますw)
未だに囲碁将棋は全然わかりませんが、どのチャンネルを見ても楽しめる人間にはなったし、一通りいろんな知識はテレビから教えていただいたと思っている。
一人暮らしをした時、結婚した時、家事などに戸惑うことがなかったのは、テレビで学んだ生活の知恵のおかげだと思う。
テレビではなくて、ゲームという人もいると思う。
(お恥ずかしながら私はゲームが超絶下手で、そっちには行けませんでしたがw)
明るい不登校の第一歩は、何か熱中できることをとことんやる。
今は、ネットというツールがあって、情報を入手することも容易いし、
いろんな人といろんな形で繋がることができる。
興味を広げることを厭わないで、どんどん好きなことをすればいい。
たまには外に出て見る。遠くの誰も知らないところへ行ってみるのもいい。
百聞は一見に如かず。を実践するのも案外楽しい。
どうやっても興味が湧くことがなければ何もしない(笑)
(やる気の神様と同じく興味の神様も降臨する時もあればおやすみしたい日もある。 )
おそらく、「学校に行かない、行けない」という苦しさはどうやっても消えない。
今振り返ってみても、あの時ほど苦しい時間はなかったし、同時に好きなことをとことんやれたので楽しい時間でもあったなと感じる。
どうせ苦しさがどうやっても消えないならば、自分が楽しいと思うことも一緒にすればいいじゃないか。ずっと苦しんでる必要なんてないのだから。
先の見えない未来に苦しむ日も必要な1日だけれど、先が見えなからこそ一瞬一瞬を楽しく生きることも必要だよ。