親の離婚。
前回、「お母さんも自分を責めないで」と書いたけれど、
「お母さん」だけでなく「お父さん」の場合もありますよね。
私の場合は「母」だったのでご容赦ください。
なぜ「母」だけだったかというと、離婚していて母と暮らしていたからです。
離れて暮らす父は未だに私が不登校だったことを知りません。
もしかしたら、風の噂で聞いているかもしれませんが。
未だに何も聞いてくることはありません。
私が小学校5年生の時に父と母は離婚しました。
性格の不一致といえばその通りと今は納得しますが、
幼心には大きな傷跡を残しました。
父と母の仲の良かった姿はほとんど見たことがありません。
いつも喧嘩する二人を泣きながら姉と一緒に止めていました。
怒鳴りあう二人の姿しか覚えていないのです。
ご飯を家族全員で一緒に食べた覚えもほとんどないのです。
離婚の話が出ている時に私は泣いていませんでした。
いつも私に意地悪をする姉がその時ばかりは大泣きをしていたので、
それがなぜか面白くて泣いているフリをして笑っていました。
その時の光景は今でもよく覚えているのですが、幼いから離婚がわからなかったとか状況がわかっていなかったということは全くありませんでした。
その頃から心は壊れていたんでしょうね。
母は理解のある人だったので離婚後も父と会うことはできました。
父の家に泊まり、帰る時は毎回涙をこらえていました。
「お父さん一緒に住めなくてゴメンなさい。」
空っぽになった家に一人で住んでいる父に申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。
環境がガラリと変わった毎日。
幼馴染と毎日遊んでいたのに、帰る家はいつも一人ぼっち。
友達はできたけれど、何かいつも寂しい自分がそこにいた気がします。
いつかまた一緒に…そんな切ない願いを持っていましたが、それは叶うことはない。
友達には虚勢を張って、周りには離婚したから寂しい子と思われないように必死で取り繕っていました。
今だからわかることは、母は当時不倫をしていたこと。
離婚する前からその男性とは何度も私たちも会っていて、
まさかそんなことになっているとは微塵にも思っていなかった。
でも今考えるとそういうことかと思う。
離婚して数年経った頃、母はその男性と再婚した。
その男性は、別の街に住んでいて家も仕事もそちらにあったので、
週末だけやってきたり、週末だけ母がそちらへ行きいなかったりした。
親も幸せになりたいだろうとは思うが、思春期の再婚はできれば避けた方がいい。
子供の心の複雑さを考えて欲しい。