元不登校、母になる。

学校へ行かなかったけれど、大人にはなれる。でも子育てって大変。頑張れ(不登校の)後輩たち!

大検(高卒認定)の話。

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河相我聞さんが、大検頑張って取ろうとしてる。頑張ってください!!

 

私も大検取得者です。(今は高卒認定というのですよね。)

 

せっかく入った通信制高校、留学を一年で終えて帰ってくると単位が足りないので留年となってしまうことを知り(今となっては何も考えてないね、私。とツッコミどころ満載です。)

高校を退学。

大検取得を目指しました。

 

なぜ目指したかと言うと、漠然と高卒認定は必要だと思えたからです。

また外国の学校へ行くにしても、日本で何か学ぶにしても、高校を卒業(卒業認定)しているのとしていないのでは現実的に差があると感じたのです。

 

いくつか通信制高校で取得した単位が大検で認められたり、英検を取得したので英語が免除になったりと、全ての教科を受験しなくてもよかったのは有難いことでした。

受ける決意をしてから次の受験まで10ヶ月くらい期間があったので、教科書はほとんど通信制高校で使っていたもので勉強しました。

 

かく言う私も一回では高卒認定はされず…まさに河相我聞さんと同じく一教科足りず。

2回目の受験で高卒認定が取れました。

 

夏に一回、秋に一回。年に二回受験するチャンスがあります。

高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定):文部科学省

 

中学までは出席日数がなくても義務教育なので卒業できます。

高校からはそのようにはいかないので、高卒認定というものがあることは素晴らしい制度だと思います。

満16歳以上から受験が可能。

正直言うと、同級生よりちょっと先に高卒認定されたのは、ちょっとだけ嬉しかったですよ。

 

しかし取得してからその先どうするまでは、全然考えていませんでした。 

その当時、大学に入りたいと言う気持ちがなかったのです。

大学が必要なのか?とさえ思っていましたから。

 

取っておいてよかったな。と感じたのは、その後しばらくしてからです。

その1年半後に専門学校に。10年後に短大に行きました。

 

学びたいと思えた時期に、学べる場所を選べる選択肢は1つでも多くある方が良いのではないかと思います。人生気が変わる時もありますから(笑)

明るい不登校の過ごし方。

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不登校になったことを負い目に感じてないと言ったら、そりゃ嘘になる。

人生には数々な選択肢が出題されるわけで、私はこちらを選んだけれども、

あちらを選んでいたならば…どうなっていたのだろうと思う気持ちはもちろんある。

 

だけど後悔はしない。

 

「学校に行けない」と悟った時、「学校に行かない」と決意した時、

私は自分に誓いを立てた。

 

「この先どんなことがあろうと自己責任。誰のせいにもしない。

学校に行かなかったことを後悔しない。」と。

 

誰かのせいにすることは楽だけども、

誰かや何かによって学校に行かないんじゃなくて、

自分で決めたんだと、ちょっと誇らしげに思いたかったんだと思う。

逃げたんじゃない。自分で選んだんだと。

そう思うことにしたからこそ、明るい不登校になろうと思えたのかもしれない。 

 

みんなが学校へ行ってる間、私がしていたことは、朝から夜までテレビざんまい。

テレビというツールを使って、ありとあらゆる情報を身につけたと言っても過言ではない。

(いたって真面目に言っていますw)

未だに囲碁将棋は全然わかりませんが、どのチャンネルを見ても楽しめる人間にはなったし、一通りいろんな知識はテレビから教えていただいたと思っている。

一人暮らしをした時、結婚した時、家事などに戸惑うことがなかったのは、テレビで学んだ生活の知恵のおかげだと思う。

 

テレビではなくて、ゲームという人もいると思う。

(お恥ずかしながら私はゲームが超絶下手で、そっちには行けませんでしたがw)

明るい不登校の第一歩は、何か熱中できることをとことんやる。

  

今は、ネットというツールがあって、情報を入手することも容易いし、

いろんな人といろんな形で繋がることができる。 

 興味を広げることを厭わないで、どんどん好きなことをすればいい。

 

たまには外に出て見る。遠くの誰も知らないところへ行ってみるのもいい。

百聞は一見に如かず。を実践するのも案外楽しい。

 

どうやっても興味が湧くことがなければ何もしない(笑)

(やる気の神様と同じく興味の神様も降臨する時もあればおやすみしたい日もある。 )

 

おそらく、「学校に行かない、行けない」という苦しさはどうやっても消えない。

今振り返ってみても、あの時ほど苦しい時間はなかったし、同時に好きなことをとことんやれたので楽しい時間でもあったなと感じる。

 

どうせ苦しさがどうやっても消えないならば、自分が楽しいと思うことも一緒にすればいいじゃないか。ずっと苦しんでる必要なんてないのだから。

 先の見えない未来に苦しむ日も必要な1日だけれど、先が見えなからこそ一瞬一瞬を楽しく生きることも必要だよ。

新学期が始まると。

不登校の母である私は、子供に案外厳しい。

夏休みの宿題は1つ残らずやらせるし(当たり前かw)

勉強も毎日させる(当たり前かw)

 

だけど、新学期を前にすると1つだけ言うことがある。

「学校に行きたくなければ、行かなくていいよ」と。

 

そんな不登校の先輩から言われても、今のところ「行きたくない」というわけではないらしいので毎日楽しげに学校に通ってはいる。

でも、そう言ってあげることが一番だと私は思っている。

 

不登校になりたての頃の新学期、学校へ行ったことを思い出す。

 

学校の先生は毎日、交換日記とやらを書いて私に渡してきた。

当時のドラマ「金八先生」で優しい先生が生徒と交換日記をしていたのを真似たんだろう。先生が私の気持ちをなんらかの方法で知りたいようだった。

友達は、「学校に来てね!」と言ってくれていた。

 

そんな気持ちに応えるために新学期に学校へ足を運んだ。

 

学校へ向かう、廊下を歩く、階段を登る、足がまるで重りがついたように重かった。

教室の目の前に来ても、なかなか教室のドアをくぐれない。

心臓が重くて重くて潰れそうな気持ちでいっぱいだった。

 

クラスメイトの好奇な目が気になった。

久々の授業は、ついていけるわけもなかった。

休み時間は、ずっと一人。

 

あんなに先生や友達は「学校に来てね」と言っていたのに、行ったら行ったで先生は先生の業務があってフォローはない。

友達は友達のコミュニティの中にいるので、そこへ入っていくことは私にとっては巨大な壁にしか思えなかった。

 

これじゃあ、一人で家にいた方がよっぽど心は楽だ。

そんなに頑張ってその中へ入る必要があるのか、 疑問しか残らなかった。

自分がそこにいるべき人間ではないような気がした。

翌日は、全身の倦怠感に襲われた。

もちろん学校へは行けなかった。

 

私の中では、必死にみんなの期待に応えて「学校へ行く」という大きなハードルを越えようとしていたけれど、みんなにとって「学校へ行くこと」は大したことではなかったし、先生にとっても大したことにも思えなかったんだろう。

だけどその当時の私の心境としては、頑張った分勝手に裏切られたような悲しい気持ちでいっぱいになった。

 

 

先生方やお友達には、新学期に学校へ頑張って行った子のフォローをできるだけお願いしたい。

「学校にいると楽しいな。」と思える瞬間を一瞬でも増やしてあげてください。

本気で学校へ戻って来てほしいと願うならば、どうか包み込んであげてほしいと願います。

9月1日

「9月1日は子どもの自殺が1年で最も多い日だ。」という。

死ぬな。

自殺した子供のニュースを聞くのは、嫌だ。

 

「なんで、死ぬんだろうね。」

「死ぬほど嫌だったら学校へ行かなければいいのに。」

そんなことを言う人もいるけれど、そんなに簡単なら死なない。

 

真面目で学校に行かないといけないと思い詰めていたり、

学校に行きたくないと親に言い出せなかったり、

あるいは将来を悲観したり。

その小さな心でどれだけ苦しい気持ちを抱えていたことか。

 

そんな子に言いたい。

「今は辛いかもしれない。

今死んでしまいたいかもしれない。

だけどね、大人になったらもっと楽しいことが待ってるよ。

そんな想像もできないかもしれないけど。

生きていれば、絶対にそう感じる日がやってくる。」

 

ありきたりの言葉かもしれない。

私もその当時はそんな軽々しい、表面的な言葉で何がわかるんだと思っていたから、

響かないことも承知だけど、言わせてほしい。

 

「生きてりゃなんとかなる。

私はあなたに生きてほしい。

あなたを必要とする人はこの世にたくさんいる。

あなたの価値はこれからの未来が証明してくれる。」

 

 

明るい不登校の過ごし方は、こうだ。

9月1日も平常運転。

新学期が始まったことすら忘れている(笑)

 

親の離婚。

前回、「お母さんも自分を責めないで」と書いたけれど、

「お母さん」だけでなく「お父さん」の場合もありますよね。

私の場合は「母」だったのでご容赦ください。

 

なぜ「母」だけだったかというと、離婚していて母と暮らしていたからです。

離れて暮らす父は未だに私が不登校だったことを知りません。

もしかしたら、風の噂で聞いているかもしれませんが。

未だに何も聞いてくることはありません。

 

私が小学校5年生の時に父と母は離婚しました。

性格の不一致といえばその通りと今は納得しますが、

幼心には大きな傷跡を残しました。

 

父と母の仲の良かった姿はほとんど見たことがありません。

いつも喧嘩する二人を泣きながら姉と一緒に止めていました。

怒鳴りあう二人の姿しか覚えていないのです。

ご飯を家族全員で一緒に食べた覚えもほとんどないのです。 

 

離婚の話が出ている時に私は泣いていませんでした。

いつも私に意地悪をする姉がその時ばかりは大泣きをしていたので、

それがなぜか面白くて泣いているフリをして笑っていました。

 

その時の光景は今でもよく覚えているのですが、幼いから離婚がわからなかったとか状況がわかっていなかったということは全くありませんでした。 

その頃から心は壊れていたんでしょうね。

 

母は理解のある人だったので離婚後も父と会うことはできました。

父の家に泊まり、帰る時は毎回涙をこらえていました。

「お父さん一緒に住めなくてゴメンなさい。」

空っぽになった家に一人で住んでいる父に申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。

 

環境がガラリと変わった毎日。

幼馴染と毎日遊んでいたのに、帰る家はいつも一人ぼっち。

友達はできたけれど、何かいつも寂しい自分がそこにいた気がします。

 

いつかまた一緒に…そんな切ない願いを持っていましたが、それは叶うことはない。

友達には虚勢を張って、周りには離婚したから寂しい子と思われないように必死で取り繕っていました。

 

 

今だからわかることは、母は当時不倫をしていたこと。

離婚する前からその男性とは何度も私たちも会っていて、

まさかそんなことになっているとは微塵にも思っていなかった。

でも今考えるとそういうことかと思う。

 

離婚して数年経った頃、母はその男性と再婚した。

その男性は、別の街に住んでいて家も仕事もそちらにあったので、

週末だけやってきたり、週末だけ母がそちらへ行きいなかったりした。

 

親も幸せになりたいだろうとは思うが、思春期の再婚はできれば避けた方がいい。

子供の心の複雑さを考えて欲しい。

無理しなくていい。

無理しなくていい、頑張る時はまた別の時に。

本当に頑張らないといけない時は、来る。

だから今は、無理しなくていい。

 

あの当時の私に声をかけてあげられるならば、そう言いたい。

 

母になって思うことは、子供にはまっすぐ真っ当な道を選んで歩いて行ってほしい。

そんな願いにも似た気持ちだ。

それは母にならなかったらわからなかった。

 

私には小学生になる子供がいるのだが、子供が学校へ行きたくないという日が来たら

こんな私でも「どうしよう」と思うと思うので、不登校の経験のないお母さんからしたら、きっと戸惑いの連続であることだろうと思う。

 

心理学の先生が言っていた言葉を思い出す。

不登校に陥ってしまった子供の精神状態は、地球の裏側に落ちたくらいの衝撃を受けている」

 

「ああ、なるほどな。」と腑に落ちた。

確かに裏側に落ちたようだった、自分の立っている真下に急に黒い影ができて、そのまま引きずり落ちて行くような心境だったから。

 

もし、不登校になったお子さんの気持ちがわからなかったら、想像してほしい。

そんな衝撃を受けているのだから、滅多滅多だと。

さすがに立ち上がれないと。

どこでどう受けた傷か、本人もわからないまま深い底にいると。

 

今、夏休みが終わって、きっと「学校へ戻らないと」ともがいている子もいると思う。

それを望むお母さんの気持ちもよくわかる。

「このチャンスを逃したら、また通えなくなるかもしれない。」

そう感じているかもしれない。

 

私も何度もトライした。

でも私の場合やっぱりダメだった。

きっと衝撃を受けた傷も治ってないのにトライしたからかもしれない。

 

時が経てば心に受けた傷も少しずつよくなっていく。

その時が来たら立ち上がれるから、今は無理しなくてもいいよ。

 

無理をすればするほど傷は深くなっていって、戻ることが難しくなるから。

お母さんはどうか見守ってほしい。

トライしてみてダメでもどうか自分を責めないで。

お母さんも自分を責めないで。

 

私の不登校の友達の中には、ちゃんと戻れた子もいる。

決して戻れないわけじゃない。

 

立ち上がれない時は無理しなくていい。

不登校から卒業したあと。

中学時代を不登校のまま卒業し、晴れて不登校を卒業した私の進路はとても限られていた。

学校に行っていなかったので勉強にも全然ついていけず、高校受験の「こ」の字も出てこなかった。

 

でも通信制の高校の扉だけは開いていた。迷わずそこへ飛び込んだ。

 

しかし、そこはやはり孤独な世界。

自分で勉強し、自分でレポートをまとめなければ単位は取れない。

苦手なスクーリングも行かないといけなかった。

 

新しい出会いや新しい環境に胸を躍らせたのもつかの間。

急に動くと反動もその分大きい。

 

今度は頑張ろうって思ってたことができなくて自己嫌悪に陥る。

最低限は頑張っていたつもりだったけれど…最低限さえキツいと感じてしまう。

 

よく、「不登校の子=学校に毎日通うことができない子」のように言われることがありますが、当時の私は「中学にいけなかっただけで、『学校自体』に通えないわけじゃないんだ」と思っていたので、新しい学校にうまく通えていない自分を受け入れることができなかった。

 

どうしたらいいんだろう。

あの忌々しい暗黒時代(笑)を卒業したはずなのに!

今考えればかなりの荒療治ですが、

私は昔から英語が好きで、英語を学んで見たい気持ちが強かった。

留学すれば何か変わるかもしれないと動き出した。

自分で行く学校を調べて、費用を計算して、それを表にして親にプレゼンをし、散々お願いして晴れて留学できることとなった。

 

中学を卒業してから6ヶ月。

15歳だった私は、一人飛行機の中期待に胸を膨らませて飛び立った。

 

「私は中学にいけなかっただけで、『学校』に行けないわけじゃない!」

この言葉は自分で証明できたと今でも思っている。

 

今の学校に行けないだけで、他の学校なら行けることもある。

 

自分で踏み出す気持ちがあれば、チャレンジ。